#45 九死に一生を得た釣りの思い出と、テレビ局の報道部で鍛えられた日々

Update:
2025.05.19

山田兼司 映画・ドラマプロデューサー

Update:
2025.05.19

Tyken Inc. CEO 映画・ドラマプロデューサー。慶應義塾大学法学部卒。ドラマ「BORDER」シリーズ、「dele」などを手掛け、東京ドラマアワード優秀賞を2度、ギャラクシー賞を3度受賞。また、仏カンヌでは「dele」でグランプリを受賞。映画「怪物」でカンヌ国際映画祭脚本賞、クィアパルム賞の2冠。「ゴジラ-1.0」では北米の邦画興行収入歴代1位を記録し、史上初のアカデミー賞視覚効果賞を受賞。同年、個人として「怪物」「ゴジラ-1.0」で2つのエランドール賞と藤本賞を受賞。北米では2023年を代表する「アジアゲームチェンジャーアワード」をグラミー賞受賞アーティストのアンダーソン・パークらと共に受賞した。2024年よりPGA(Producers Guild of America)の正式会員に選出。最新の企画・プロデュース作は「ファーストキス 1ST KISS」。

収録レポート

イナズマフラッシュの収録レポートをお届けする本ページ。

 

今回は番組6人目のゲストとして、映画・ドラマプロデューサーの山田兼司さんをお招きして録音された、#45収録の様子をご紹介します。

ドラマでは『BORDER』シリーズ、『dele』などを手掛けられ、映画では『怪物』『ゴジラ-1.0』『ファーストキス 1ST KISS』など世界的に評価される作品に関わってきた山田さん。プロデュース作品の受賞歴は、東京ドラマアワード優秀賞・ギャラクシー賞・カンヌ国際映画祭脚本賞・クィアパルム賞・アカデミー賞視覚効果賞…と、ここに書ききれない実績をお持ちです。

 

実は5年以上前から知り合いの二人。まずは出会いのエピソードを…と思いきや、どうしても最初の出会いは思い出せず、話題はまさかの「釣り」からスタートします。

 

海釣りに詳しい共通の知人と、警報が出るほどの悪天候だったものの、敏腕な船長ならいけるという判断で早朝に横浜の海から釣りに出た二人。当日は晴れ間も見え、船長の勘によって海釣りは大漁。テンションが上がっていく船内でしたが、天候は一気に悪化。

 

小さな船だったため、荒れる波はどんどん船内に。視界も悪くただ船にしがみついて耐えるのみだったそうで、陸が見えたときの嬉しさは普通ではなかったとのこと。あまりにも激しい二人の体験から今回の対談は始まりました。

 

個人的にはこのあと、一度帰宅して再度集まって食事をした、という部分に怖さすら覚えました…。イナフラに登場する方々のバイタリティは、我々一般人の想像を大きく超えています…。

二人の印象的だった臨死体験から気を取り直して、話題は山田さんのキャリアについてへ。大学生時代に報道を志した山田さんは、テレビ朝日に就職し朝の報道番組に配属されます。1年目でAD、2年目には周りより早いタイミングでディレクターと順調に昇格していきますが、労働環境はなかなかハードだった様子。

 

あくまで当時の体験と前置いておきますが、取材から編集、オンエアから反省会まで、30時間一睡もせず仕事し続けるのが常態化していたそう。そんな中でも、ネタの鮮度や切り口など、VTRに対してこだわって作れる環境ではあり、個性的なメンバーも多く刺激的な環境だったと山田さん。

 

しかし3年ほど経ったタイミングで、テレビと報道の構造的な問題を感じます。一次情報だけではなく調査報道もしていくべきという考えと、視聴率や制作費といった問題が相反。また、40歳50歳となったタイミングで、報道ディレクターとしてプロフェッショナルになったとして、テレビ朝日の名前がなかった時自分はなんなのかと考え、フィクションを作るために異動希望を出します。

万能感に苛まれ調子に乗っていたと振り返る山田さん、告げられた異動先は財務部でした。4年目にして制作から外れ、何度も辞めようと思ったそうですが、財務会計はプロデューサーの基礎であり、また残業時間が大きく減ったことにより、山田さんは映画美学校に通いながら1年間みっちりフィクションの作り方を学ぶ時間に繋がります。

 

会社組織では、やりたいことや文句を言うだけでなく、実際に行動に移さないと誰にも拾ってもらえない。そんな現実に対して、山田さんは財務部で仕事をしながら、ドラマと映画部署に交互に企画書を出し続け、2年で映画センターに異動が決定。

 

財務部に異動を告げられたタイミングで、すぐに学校に通い企画書を出し続けるという行動力。一般的なプロデューサーとは違う道のりを歩いてきた山田さんの経験値が、プロデューサーとしての圧倒的な実績に繋がっているのかもしれません。

山田さんが異動したタイミングは、ちょうどテレビ朝日映画センターが自社で映画を作る方向に舵を切ったタイミング。のちに移籍することになる東宝とのコネクションもここで作られていったそう。アシスタントとして現場を学びながら、自身としてもプロデューサーを務めることに。こうして山田さんのプロデューサーとしてのキャリアが始まっていったのでした。

 

次回は映画業界の収益構造や映画と漫画の違いを語りつつ、山田さんのテレビ局でのドラマ制作の裏話や、若い世代への投資など、更に盛り上がります。

 

ぜひ番組とこのホームページでお楽しみください。