#11 矢沢永吉『成りあがり』執筆のきっかけとなった糸井さんのアポなし沖縄取材
- Update:
- 2024.09.16
糸井重里 ほぼ日代表
- Update:
- 2024.09.16
ほぼ日代表 糸井重里(いとい・しげさと)。コピーライターとして一世を風靡し、作詞や文筆、ゲーム制作など、幅広く多彩に活躍。1998年にスタートしたウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」では、『ほぼ日手帳』をはじめ『ほぼ日のアースボール』『ほぼ日の學校』など様々なコンテンツの企画、開発を手掛ける。
イナズマフラッシュの収録レポートをお届けする本ページ。
引き続きゲストとして、ほぼ日代表 糸井重里さんをお招きした、#11収録の様子を紹介します。
#10に引き続き、伝記に出てくるようなエピソードから今回もスタート。
紫綬褒章や文化功労者を受賞した、昭和を代表するデザイナーである田中一光さんが、西武百貨店と糸井さんを繋ぐことに。西武百貨店の水玉の包装紙や、LOFTのロゴをデザインされた、まさに伝説のデザイナーです。
フリーランスのコピーライターという珍しい存在ということもあり、様々なジャンルで活躍の幅を広げていく糸井さん。コマーシャルソングを書いたことから、作詞の仕事が舞い込んできたり、NHKの若者向け番組に出たところ、新番組のMCをお願いされたり…。
糸井さんのお話に出てくるクリエイターの名前や企業名、番組名を聞くと、今では伝説となっているものばかり。改めてレジェンドの若手時代の雰囲気を感じることができました。
この頃、糸井さんには矢沢永吉さんの書籍『成りあがり』執筆の依頼が舞い込みます。当時異例のベストセラーとなり、社会現象となった名著。一見関係の無い二人のようですが、実はここにはしっかりとした経緯がありました。
雑誌Rolling Stone Japanにてダウン・タウン・ブギウギ・バンドの取材に出かけた20代後半の糸井さん。
全くコネの無い状態から、コンサートの場所を調べ、テープレコーダーだけ買って単身沖縄に飛びます。ちなみにライブのチケットや取材の予約は一切していない状態です。スタジオはナイスな笑いに包まれました。
ダウン・タウン・ブギウギ・バンド、宇崎竜童さんになんとか取材を敢行した糸井さんは、その後コンサートにも付いていく仲となり、ルポタージュとして2度に分けて連載。その原稿が『GORO』編集者・島本脩二さんの目に留まり、矢沢永吉さんのルポタージュの依頼として『成りあがり』の企画が立ち上がっていくのでした。
「今自分で喋ってて、そういう子に会いたいと思った」という糸井さん。ある種向こう見ずでありながら、パワフルさと独特の視点を持ち、なによりこの人になにか任せてみたいとワクワクさせる感覚。沢山の人が糸井さんにお願いをしてきた理由が少し見えてきました。
糸井さんが最初に入社した会社では、コピーライターの先輩と入れ替わりに入社したそう。コピーライティングも、作詞も誰かに教えてもらった訳では無いからこそ、最初から工夫することが前提となっていたというお話に。
確かに糸井さんのお話を伺っていくと、ある種部外者的にプロジェクトに参画していき、別の視点をもたらすことで成功に導いているな、と感じました。その元々は、倒産ギリギリの会社で1人で様々な広告を作らなければならなかった頃の状況と、それを楽しんで乗り越えていった経験が生きているのかもしれません。
普通に暮らしていると、とっても優しい日本社会。丁寧にレールを敷いてくれてはいるけど、その枠をはみ出す瞬間がブレイクスルーには必要なのかも、と林さん。意図的に工夫が必要な状況を作って学習していかないと、糸井さんのようなレジェンドに我々は追いつけないままになってしまいます。身が引き締まる回となりました。
次回も『成りあがり』と矢沢永吉さんに関する更に深い話や、クリエイティブとお金の関係性など、興味深い話が止まりません!
ぜひAmazon Musicとこのホームページでお楽しみください。