#14 『魔女の宅急便』『もののけ姫』ジブリ作品のキャッチコピーはこうして生まれた
- Update:
- 2024.10.07
糸井重里 ほぼ日代表
- Update:
- 2024.10.07
ほぼ日代表 糸井重里(いとい・しげさと)。コピーライターとして一世を風靡し、作詞や文筆、ゲーム制作など、幅広く多彩に活躍。1998年にスタートしたウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」では、『ほぼ日手帳』をはじめ『ほぼ日のアースボール』『ほぼ日の學校』など様々なコンテンツの企画、開発を手掛ける。
イナズマフラッシュの収録レポートをお届けする本ページ。
前回から一ヶ月と少し時間が空いて2回目の収録。
引き続きゲストとして、ほぼ日代表 糸井重里さんをお招きした、#14収録の様子を紹介します。
ロサンゼルス帰りの糸井さん。大谷翔平優勝の試合に立ち会ったということで、ちょっとご機嫌でスタートです。
2回目の収録ということで、今回はリスナーの皆さまから頂いた質問を糸井さんに投げかけていきます。
全てのメッセージはスタッフと林さんで目を通しています。改めてメッセージを送って頂いた方々、ありがとうございました!
宮崎駿さんや鈴木敏夫さんとのやりとりで、印象的なものは?という質問。
2人とも基本的に常に喋っている(!?)らしく、糸井さんは聞き役に回ることが多かったそう。
そんな話題から展開していったのが、ジブリにおけるコピーを作るタイミングのお話。
宣伝の目的で付けられるのがコピーですが、糸井さんのコピーは制作スタッフが目印にするような言葉、としても使われていたそうなのです。
ということは、コピーを作るタイミングは当然制作中になり、まだ物語の結末も聞いていない状態。
『魔女の宅急便』のコピーである「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」も、パン屋さんの前でこちらを向いている女の子の絵コンテが元になっているとか。宮崎駿さんや制作陣との打ち合わせを重ね、ビジュアルを見て、糸井さんが紡いだ言葉が、更に制作の道筋となっていく。
最近になってやっと、コピーライターが商品開発から携わり、プロダクトを作っていくような取り組みも見られ始めましたが、『魔女の宅急便』の公開は1989年。糸井さんの当時の活動を全てリストアップして分解してみたら、様々な物事の第一人者になっているのではないでしょうか。
当時名前がつかなかった役職が、やっと現代で名前がつき、重要視されるようになってきている気がします。
アイデアで勝負してきた糸井さんが、漫画のなかで衝撃を受けたアイデアが1980年連載開始の鳥山明先生の『Dr.スランプ』。元々デザイナーだった鳥山さんの漫画は、漫画界の中では異物に感じたと糸井さん。しかも重厚なストーリーのある作品ではなく、日常ギャグ系。
「特異点」という言葉も出てきたほど、当時の衝撃は凄まじいものでした。その勢いのまま1984年にはドラゴンボールがスタートしていることからも、当時の熱狂ぶりは伺えます。
表現の幅を広げるクリエイターが、定期的に登場する漫画業界。そのエンタメとしての幅の広さこそが、特異点を生み出すヒントなのかもしれません。
約一ヶ月ぶりの再会ということで、この期間、糸井さんと小堀鷗一郎さんの『いつか来る死』を読んできた林さん。「死を受け入れる」という価値観にどうやってたどり着けば良いか、について糸井さんに聞いていきます。
林さんは昨年、突発的に救急車で運ばれる経験をしてから、人生の作戦変更を考えたといいます。ちなみに人生でもう一度死にかけた経験があり、内容はサーフィン初挑戦で大波に飲まれたこと。この二度の経験のあと、人生が強くなった感覚があったそう。
「欲望だけで言えば1000年生きたい」という糸井さん。1000歳だと、源氏物語から現代まで生きることができます。永遠の命を手に入れたキャラクターが居る作品にて、大切な人を失う辛さや、退屈な時間に耐えられない、という良くある展開に疑問を唱えます。
1000年あれば、10年ごとに異国で暮らしても良いし、30年勉強しても良いし、200年寝ても良い。ポジティブな意味で1000年生きるからこそ意味があり、それは望みとして持ちながら、現実と向き合っていく。輪廻転生という考え方を用いれば、私たちは既に1000年の寿命を生きているのかもしれません。
認識や、考え方・捉え方の違いで世界は変わって見える。そんなメッセージを感じました。
ジブリでのコピーの作り方から、寿命の話まで、いきなり盛り上がった第14回。
二回目の収録も、最初から最後まで聴き逃がせない充実の収録となりました。次回以降の展開も大いに期待してください!
ぜひAmazon Musicとこのホームページでお楽しみください。