#06 山田兼司さん対談まとめ
- Update:
- 2025.07.13

対談まとめ レポート


- Update:
- 2025.07.13
このページでは、各ゲストと林士平さんの対談の内容を、トピックごとにまとめて掲載しています。全8回の対談終了後、二人が話してきた内容や話題に上がった作品を振り返りながら、トップランナーの脳内を覗き見しましょう!

今回はイナズマフラッシュ収録レポート特別編!
映画・ドラマプロデューサーの山田兼司さんとお届けした、全8回をトピックごとに振り返っていきます。
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出会いと関係性
実は5年以上前から知り合いの二人。出会ったキッカケはどうしても思い出せず、印象に残りすぎている「釣り」での九死に一生を得たエピソードから対談は始まっていきました。
海釣りに詳しい共通の知人と、警報が出るほどの悪天候だったものの、敏腕な船長ならいけるという判断で早朝に横浜の海から釣りに出た二人。当日は晴れ間も見え、船長の勘によって海釣りは大漁。テンションが上がっていく船内でしたが、天候は一気に悪化。
小さな船だったため、荒れる波はどんどん船内に。視界も悪くただ船にしがみついて耐えるのみだったそうで、陸が見えたときの嬉しさは普通ではなかったとのこと。
実はこのエピソード、林さんチームと番組スタッフでのご飯会の際に伺ったことがあるエピソードでした。その際はおぼろげな記憶ですが「価値観が変わった瞬間」というような内容で、このお話をされていた気がします。
大きな事故や病気など、一度生命が脅かされる経験というのは、もしかしたら人間を一つ強くさせる経験なのかもしれません。(私たちは悪天候だったら即帰宅しましょう!)
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紆余曲折を経た、意味のあるキャリア
映画・ドラマプロデューサーとして、輝かしい実績をお持ちの山田さんですが、実は波乱万丈で自分で道を切り開いてきた、地道な努力に裏打ちされたキャリアだったことがとても意外だったのでご紹介します。
大学生時代に報道を志した山田さんは、テレビ朝日に就職し朝の報道番組に配属されます。1年目でAD、2年目には周りより早いタイミングでディレクターと順調に昇格していきますが、3年ほど経ったタイミングで、テレビと報道の構造的な問題を感じます。
一次情報だけではなく調査報道もしていくべきという考えと、視聴率や制作費といった問題が相反。また、40歳50歳となったタイミングで、報道ディレクターとしてプロフェッショナルになったとして、テレビ朝日の名前がなかった時自分はなんなのかと考え、フィクションを作るために異動希望を出します。
しかし告げられた異動先は財務部でした。収録時には「万能感に苛まれ調子に乗っていた」と笑いながら振り返っていた山田さんでしたが、4年目にして制作から外れ、何度も辞めようと思ったほど大きな転機だったそう。
それでも、財務会計はプロデューサーの基礎であり、また残業時間が大きく減ったことにより、山田さんは映画美学校に通いながら1年間みっちりフィクションの作り方を学ぶ時間に繋がります。
山田さんが異動したタイミングは、ちょうどテレビ朝日映画センターが自社で映画を作る方向に舵を切ったタイミング。のちに移籍することになる東宝とのコネクションもここで作られていったそう。アシスタントとして現場を学びながら、自身としてもプロデューサーを務めることに。
ところが、ここでもわずか2年でドラマの部署に異動となります。それまで映画の部署ではビジネス的な仕事が多かったそうですが、ドラマ部では現場での職人的な仕事が増え、モノづくりをし続ける生活へと突入。
ドラマづくりを続けていく中で、予算や様々な所与の条件の制約を取り込みながら、テレビ局という組織の中でできることはある程度やり尽くしたと感じていた山田さん。特に2018年にテレビ朝日系金曜ナイトドラマ枠で放送された『dele』は、二度と出来ないし誰にも再現できない作品だと思っているそう。
ある種燃え尽きたような状態だった山田さんの元に、友人から東宝からの誘いが届くことになります。
映画を作ることがそもそもの大きな目標だったこと、会社に留まることによるキャリアの限界、その頃には配信という大きな波も見えるところまで迫ってきていたことなど、様々な要素を鑑みた結果、山田さんは2019年に東宝に移籍し再び映画作りに携わることになるのです。
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世界と日本、コンテンツの現在地
仏カンヌでは「dele」でグランプリを受賞。映画「怪物」でカンヌ国際映画祭脚本賞、クィアパルム賞の2冠。「ゴジラ-1.0」では北米の邦画興行収入歴代1位を記録し、史上初のアカデミー賞視覚効果賞を受賞。同年、個人として「怪物」「ゴジラ-1.0」で2つのエランドール賞と藤本賞を受賞。北米では2023年を代表する「アジアゲームチェンジャーアワード」をグラミー賞受賞アーティストのアンダーソン・パークらと共に受賞。
書ききれないレベルでの受賞歴を持ち、言葉通り世界で活躍し続けている山田さん。そこから見えてきた日本のコンテンツと世界のコンテンツの現在地についてまとめていきます。
・時代の移り変わりと流通の変化
山田さんが28歳で映画プロデューサーに抜擢された2000年代後半は、劇場収入とDVD・Blu-rayのパッケージの2つが収入の柱。本編で登場したMGとはMinimum Guaranteeのことで、イメージは「本が出る前に、出版社が作者に印税を前払いする」ような仕組みのことです。
時代の移り変わりと共に、パッケージから配信へと映画の流通は変化。パッケージの場合、ある種収入の上限は青天井で、ヒットすればするほど売れる仕組みでしたが、配信はそうではないとのこと。その結果、邦画は興行収入を追い求めつつ、国内の視聴者だけでなく、海外のマーケットも視野に入れていく必要に迫られているのです。
・カンヌ国際映画祭で感じた『オリジナリティ』の大切さ
山田さんが海外の映画祭で感じた、賞を取るような作品の強みが「圧倒的な個性」でした。横並びで陳列された際に、浮かび上がるために必要な圧倒的なコンセプト力。それもただコンセプチュアルなだけでなく、連綿と続く映画史の中で、極めてオリジナリティのあるコンセプトが無いと、世界的な映画賞レースで勝ち抜くのは厳しいといいます。
しっかりとこれまでの歴史を学び、真摯に賞とも向き合いながら、映画というアートフォームに集まっているフィルムメーカーたちが大きなリスペクトを抱き、作り上げていく映画というコンテンツ。改めてその分厚さと関わっている人の多さには驚きます。
また、映画における宣伝についての手法についても話題は及びました。海外では宣伝プロデューサーという職種はリスペクトを集める職種であり、信頼の置けるプロの前には常に案件の行列が出来ているそう。オリジナリティを持った作品を作ることは大前提として、多くの人に良い形で届けるところまで考える必要が、今後世界で戦っていく映画には求められているのです。
・日本映画が持つ重厚なレガシー
現地で世界の映画祭のディレクターたちと交流していく中でも、日本映画にはとてつもないレガシーがあるから、その財産を大切に勉強してくださいとハッキリ言われたと山田さん。
たしかに日本の映画の歴史は、世界的に見ても古く、全盛期は1950年代とも言われています。1958年には年間の映画館来場者数が累計11億3千万人にものぼり、当時の人口と比べてみると、国民全員が月に1回以上映画館を訪れていた計算に。
日本の三大巨匠とも言われる、小津安二郎、溝口健二、黒澤明の3人。彼らが同時期に現れ、戦後の混乱から高度経済成長期へ向かっていく強いモメンタムの中で、たくさんの作品制作に携われたということも大きな要素でしょう。実際に1950年代には黒澤明監督の『羅生門』や『七人の侍』、小津安二郎監督の『東京物語』、溝口健二監督の『雨月物語』『山椒大夫』など映画史に残る伝説的作品が公開されています。
その後、緩やかに縮小していく日本の映画産業。理由は複雑に様々な要素が絡み合った結果かと思われますが、山田さんからは日本が戦後の混乱に陥る中、作り手たちに撮るべきテーマが沢山あったからではないかという意見を頂きました。
インスピレーションの元は常に歴史の中にあると山田さん。現代を生きているフィルムメーカーは、その歴史を細かく観察し新しいレシピの元を探し、それを現在とコンバインすることで作品を生み出している感覚があるそう。
一方で2024年の日本での映画興行収入ランキングを見てみると、上位10作品中アニメ作品が6作品となっており、また海外作品はアニメ作品の中で2作品、という結果に。世界でも注目されるほどガラパゴスな映画産業となっているのが日本の現状なのです。
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林士平初監督作品!?
番組の恒例である一緒に進めていく企画のお話では、短編映画を作ってみてはというお話に。#52ではロールプレイのような形で、山田さんに作品の核となるテーマや、林さんの作家性を引き出していく回となりました。
そのお話のなかで固まってきたテーマが、生まれてから30歳まで台湾人として暮らしてきた林さんが、自らの意思で日本人になることを選んだ瞬間。特に、国籍変更の際に「なぜ日本人になりたいのか」について作文を書かされたというエピソードで盛り上がりました。
周りの面接を受けている方は、日本語がままならない方もちらほら。そんな状況の中、どうせ書くなら本気で書くぞ!と、いかに自分が日本に役立つ人材か、というテーマで作文を書いたという林さん。
それが自分の中ではエネルギーとなっているそうで、国、日本に役に立つという意識が大きな変化だったと言います。一方で日本のパスポートを取得し、日本人になったとて、仕事は変わらず続き、家族とのリレーションも変わらず、そこには今まで通りの日常がある。
国籍というとても大きな要素は、ミクロな生活で見てみると何の影響も与えないラベルでしかないという気付き。わずか20分足らずで、映像的にも内容的にも、何よりオリジナリティのあるお話が仕上がっていきました。この収録の後、大人たちがスケジュールを調整したり、バタバタしていたということはここに記しておきます。いつか劇場で皆さんにお見せ出来る日が来るかもしれません!
ということで、今回は簡易的にですが、映画・ドラマプロデューサーの山田兼司さんとお届けした、全8回をトピックごとに振り返っていきました。
個人的に印象に残ったのは、林さんと山田さんの仲の良さ。そして、互いの仕事への深いリスペクトでした。
世界で戦う決意をどこかのタイミングで決めたお二人だからこそ、一般的に語られる論やブーム、潮流で終わらない深いお話を聞くことが出来たと思います。互いに世界を知っている、というリスペクトが一般論を飛ばしていきなり深いお話に入っていく空気を感じました。
番組開始から1年を迎えた林士平イナズマフラッシュ。まだまだ続く豪華ゲストと、深すぎる対談。更には幾つか企画が走り出しそうな予感もしています。
ぜひ引き続き、番組とこのホームページでお楽しみください。